15歳の頃、沖縄に憧れた。大学時代、陸路で四国・九州を経由して鹿児島発のフェリーで上陸した(ダウンして北部病院へ運び込まれた)。大学院進学後も、宮古島で自動車免許を取ってみたり(オトーリで潰れた)、修論提出の翌日に那覇空港へ降り立って「沖縄の言葉を研究するには、どうしたら」と相談に突撃研究室訪問したり、石垣空港へ降り立ってフェリーで荒波に酔って日本最南端の夕日が綺麗と噂の波照間島(大学の先輩の言語調査先)に行ってみたり。
フィールドへ出る予算も方法論もない。博論執筆の傍ら、専業非常勤で授業にいそしむ。博士号取得後の2020年度はコロナ禍、学生・同僚達と励まし合いながらオンライン授業。大学の専任教員を目指して履歴書を送り、面接を受ける日々が続いた。
転機は、名桜大の公募が出て、運良く採用されたこと。修論提出直後のドライブ時、名護で見かけた看板の「名桜大学」に勤めることになるとは、人生はわからない。
10年ほど前には沖縄県内各地で文法スケッチが行われていた。現在はしまくとぅばの継承に向けた教材作成と講師育成のフェーズに進みつつある。県の講師養成講座を受け、恩師の恩師の師匠世代の、沖縄におけるエピソードを直接(その弟子筋から)聞いて感極まるなど。
自分自身の専門を通して、何ができるだろうか。言語は身近かと思いきや、記録するには流動的で捉えがたい。戸惑っている間にも消え去ってしまう。大学生になった20年前、インターネットへの期待からブログが注目されていた。今となっては当時のPCの巨大なサイズが懐かしくなるほどだ。テクノロジーの進歩は目覚ましく、言葉は無力にも思えてくることがある。
次世代へ言葉を引き継ぐだけでなく、研究を通して明るい未来への道筋を示すことのできる大人でありたいと思う。
2015年2月22日 波照間島にて
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林 智昭(国際学部 国際文化学科 准教授) 【人物紹介】 |
