報告:嘉納英明(学長)
令和8年6月27日(土)、読谷村における平和学習(戦跡めぐり)を実施した。
参加した学生は14名、引率者は木村堅一副学長と私(嘉納)、現地の案内は、中田耕平さん(読谷村教育委員会 文化振興課 村史編集係)であった。戦後81年目を迎え、戦争体験者は県民の1割となった。これまでの沖縄戦の学習は、体験者による非体験者への語りが主であったが、体験者が少なくなるなかで、戦跡=モノから学ぶことの必要性、沖縄戦の非体験者から次世代への語り継ぎと対話を通じて、相互に学び合うことの必要性を痛感している。今回の平和学習の企画者(嘉納)の意図は、ここにある。
さて、読谷村は、沖縄戦において米軍の上陸地点であった。米軍は、本島中部の西側に位置していた旧日本軍飛行場(北飛行場/読谷山飛行場、中飛行場/嘉手納飛行場)の制圧、そこを軍事拠点化にすることを目的としていた。戦後においても、村内には、多くの軍事基地がおかれ、「基地の村」としてスタートした。沖縄戦と戦後の村の復興と創造について、現地で歩き、考える機会は貴重であった。
<フィールドワークで訪れた戦跡>
〇掩体壕(日本軍によって北飛行場に造成されたコンクリート格納庫)
〇米軍上陸の地碑(渡具知/比謝川河口をみる)
〇「艦砲ぬ喰ぇ~残さ~」歌碑
〇チビチリガマ(集団自決/強制集団死の地)
〇世界遺産の座喜味城跡(戦時は、高射砲部隊配備)
〇読谷飛行場返還の碑・不戦宣言の碑
報告:橋本 明(国際観光産業学科2年次)
私は広島県出身で、小さい頃から平和教育を受けてきました。また、幼い頃にひめゆりの塔を訪れたけど、その時は「かわいそうだな」と感じるだけでした。今回、実際に戦跡を巡ることで、戦争は人々の日常に大きな傷を残した出来事だったんだと改めて実感しました。
読谷村では、現在、道路や住宅地になっている場所が、かつては米軍の飛行場として使われていたことを知り驚きました。また、「艦砲ぬ喰ぇ~残さ~」という民謡や、生き延びるために盗みをせざるを得なかったという話からは、戦争が人々を極限状態に追い込んでいたことが伝わってきました。
一番印象に残った場所はチビチリガマでした。案内の中田耕平さんは、沖縄では新聞などで使われる「集団自決」という言葉に「強制集団死」という表現を加える理由についても説明してくださいました。それは、自ら望んで命を絶ったのではなく、戦争や当時の状況によって追い詰められた結果だったことを正しく伝えるためだと知り、言葉一つにも歴史を正しく伝える意味があることを学びました。
被害に遭われた方々が思い出したくもない内容を伝えてくださったのだから、戦争を「悲しい出来事だった」で終わらせてはいけない。なぜこのようなことが起こったのか、二度と繰り返さないためにはどうすればよいのかを、私たち自身が考え続けていかなければならないと思いました。
沖縄戦と原爆被害は異なる歴史ではあるけれども、どちらも戦争が多くの人の命と暮らしを奪った出来事だと感じています。そのため、被害に遭われた方々やこれからの世代の人々のためにも、日本に一刻も早く核兵器禁止条約に参加してほしいと思っています。
報告:米須歩夢(国際観光産業学科4年次)
沖縄本島における米軍上陸の地、読谷村の戦跡を巡るツアーに参加した。掩体壕や座喜味城跡、歌碑などを訪れた中で、特に印象に残っているのがチビチリガマだ。
現地に到着して驚いたのは、そこが山奥ではなく、普通の住宅街の中にあったことだ。静かに流れる川とガマを包む多くのガジュマル。一見すると綺麗な景色だが、階段を降りてガマを目の前にしたとき、そこには言葉にできない重たい空気が漂っていた。私たちの暮らしのすぐそばにある悲惨な歴史の跡に、沖縄戦の重みを肌で感じた。
また、ガマの前で説明を聞く最中、上空を米軍ヘリが飛び去った。沖縄戦と現代の米軍基地問題の繋がりを強く感じた瞬間であった。
現在、チビチリガマ生存者でご存命の方はわずかに1人だという。戦争体験者が減少していく今、生存者の方が苦しみながらも残してくれた証言を学び、次の世代へと繋げていくこと。そして、暴力ではなく対話を通じて、米軍基地と向き合ってきた読谷村の歩みを学び、平和を維持するための「選択」を重ねていくことが、今を生きる若者の責任だと強く感じている。
報告:坂嶋心優(国際文化学科2年次)
私は友人に誘われて、今回の読谷村で行われた戦跡巡りバスツアーに参加しました。当時、実際にどのようなことがこの読谷村の地で起こり、人々を苦しめたのかを身にしみて感じました。私が一番印象的だった戦跡はチビチリガマです。
戦時、チビチリガマでは集団自決(強制集団死)があり、140人中83人の避難民が亡くなりました。大勢の人々が戦争によって命を絶たされたのです。このガマの中には幼児も多くいました。戦争は市民の生活を奪い、人生を狂わせたのだと強く感じました。ガマの中には遺骨や遺品が残っており、戦争の恐ろしさや残酷さを感じました。
私たちは、平和に暮らせているからこそ、当時の出来事を忘れるかもしれません。ですが、もう戦争をこれ以上起こさせないよう、考える時間を持つ必要があると思うようになりました。なぜ当時の戦争は起こってしまったのか、なぜ多くの人が亡くならなければいけなかったのかと考えることが、亡くなった方を弔うことに繋がると考えました。私は、戦争についてこれまで以上に真剣に学び、今も世界のどこかで起こっている戦争を自分事として考えることが大切だと思います。

掩体壕

艦砲ぬ喰ぇ~残さ~