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【スポ健 COLUMN】第8号『冬季五輪とその後』

掲載日:2017年12月18日スポ健コラム

 平昌五輪の開幕まで、2ヵ月を切りました。出場予定選手が、マスメディアで報道される機会が増してきました。盛り上がりに欠けるという声も耳にしますが、冬季五輪は夏季五輪と比べて参加種目や選手が少ない点も影響していると思います。

 これまで、冬季五輪は日本において2度開催されました。1972年に開催された札幌五輪と1998年に開催された長野五輪です。札幌五輪は私の生まれる前に開催されたため、当時の盛り上がりについては資料を通してしかわからないのですが、開催当時に高校生であった長野五輪については、その熱狂ぶりを今でも記憶しています。ジャンプ団体での金メダル獲得を代表に、日本人選手の活躍に大いに沸いた五輪でした。

 私個人としては、スピードスケート500mで金メダル、1000mで銅メダルを獲得された清水宏保さんが大変印象に残っています。清水さんの練習に対するストイックさに感銘を覚え、当時取り組んでいたトライアスロンにおいて、いかにして清水さんのような姿勢で練習に臨めるかばかりを考えるようになりました。そんなアスリートとして憧れであった清水さんが、昨年にテレビ番組『しくじり先生 俺みたいになるな!!』に出演されていました。競技引退後の夜遊び、離婚、選挙の落選など、「しくじり」の体験談には驚かされました。メダリストの競技引退後について、非常に考えさせられる内容でした。

 長野五輪のメダリストの中で、競技引退後の人生について、特にインパクトを受けた方が私には2人います。1人は、ショートトラックスピードスケートで金メダルを獲得された西谷岳文さんです。ショートトラック引退後は競輪選手に転身され、現在も選手として活躍されています。私が学生時代にお世話になったインターンシップ先のトレーニングジムにおいて、西谷さんは競輪選手に転身すべく、トレーニングに励まれていました。五輪で金メダルを獲得しても、必ずしも、その後の生活が保障されるわけではないことを知ることになりました。

 もう一方は、同じくショートトラックスピードスケートにおいて、銅メダルを獲得された植松仁さんです。随分前のテレビ番組になりますが、植松さんは競技引退後の生活の厳しさについて語っておられました。10年以上前のテレビ番組ですが、メダリストが生活に苦しんでいる様子が描かれていることのインパクトが大きく、現在においても記憶に残っています。さらにショッキングなニュースでしたが、先月、植松さんは電車内での女性への暴行の疑いで愛知県警に逮捕されました。これまでもメダリストによる逮捕事例は存在しますが、私にとって印象深かった選手だけに、大変残念な思いです。

 五倫のメダリストといえども、アスリートとしての輝きは長くは続きません。スキージャンプの葛西選手のように、長年にわたってトップで戦える選手は稀有な存在です。五輪でメダルを獲得するほどのアスリートは、若き日に強すぎるスポットライトを浴びることになります。その光は社会の現実とはかけ離れているため、常人の感覚を失わせてしまう可能性もあります。その強すぎるスポットライトをあてるのはマスメディアであり、その先には、私達がいます。そして私達は、五輪での日本人選手の活躍に一喜一憂し、特定のアスリートを除いて、活躍した選手を簡単に忘れてしまいます。昨年に開催されたリオデジャネイロ五輪では、日本は過去最高の41(金12、銀8、銅21)個のメダルを獲得しました。皆さんは何人のメダリストの名前を挙げることが出来るでしょうか?

 スポーツを専門的に学ぶことは、これまでのように、漠然と五輪を楽しむことが難しくなってくる側面もあります。しかしながら、それこそがスポーツの専門家になるために必要な過程です。スポーツ健康学科では、五輪を楽しむだけでなく、アカデミックな視点から五輪を分析・検討できる人材の育成に取り組んでいます。

スポーツ健康学科 大峰 光博

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