沖縄の公立大学 名桜大学(沖縄県名護市)

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平成27年度卒業式 学長式辞

掲載日:2016年8月22日学長室から

 名桜大学は、この春、学群・学部460人に学士号、大学院14人に修士号を授与し、社会に送り出します。卒業生、修了生の皆さん、おめでとうございます。また、本日ご出席いただきましたご家族の皆さまと関係者の皆様、並びにご多用なところご臨席いただきました来賓の方々に、名桜大学学長として厚く御礼を申し上げます。
 さて、本日卒業する多くの皆さんは、大学での4年間、あるいは2年間はあっという間に過ぎたと感じているのではないでしょうか。厳しい学習や実習、インターンシップ、あるいは留学や海外スタディツアーなどを経験してみると、4年間は長いように見えて、じつはたいへん短い時間であったと感じられるかもしれません。
 名桜大学には、「大学と人生」と呼ばれる新入生必修の科目があります。これは、初代学長の東江康治先生が始めた科目で、学長が担当する本学の特色科目となっています。この科目は、「なぜ大学で学ぶのか」、「大学で学ぶ意義とはなにか」という大きなテーマについて考える授業です。卒業する皆さんは、4年間、様々なことを考えたと思います。自分なりに、大学で学ぶ意義について、満足のいく、納得できる説明ができるようになったでしょうか?
 大学の責務は、最先端の知の創造をしながら、同時に次世代を教育することにあります。そして学生は大学の学びの中で、自らを磨き、新しい知の世界へと高く飛翔していきます。大学で学問を修める意味は、幅広い教養と深い専門性を獲得し、自らを鍛え、社会に貢献する力を獲得することにあります。なによりも、まずは、自らの人生を設計し、専門的な知識を身につけ、社会で活躍できるようになることーーこれが大学で学ぶ基本です。
 学年が進行するにつれ、名桜大学の特色あるカリキュラムの体系の中で皆さんの学びは深化されました。専門分野だけでなく、多様な分野を幅広く柔軟に学び、創造的に発想し、ものごとを注意深く分析する中から深い洞察を得て、グローバル(あるいは地球的)なパースペクティヴと地域に対する深い理解を併せ持つようになることーー本日卒業する皆さんは、名桜大学でこのようなことを学んだと思います。「国際社会で活躍できる人」を育成することが本学の教育の大きな目標ですが、これは同時に地域社会に関する深い理解をともなう人材の育成という目標も併せ持っています。これが本学を卒業する人たちの特徴となっています。
 さて、ここまでは名桜大学の教育の特色について述べてきましたが、より普遍的なレベルで学問をする目的について、夏目漱石の言葉を紹介しながらもう少し考えてみたいと思います。漱石は、明治35(1902)年、英文学者として留学していたロンドンから、日本にいる鏡子夫人に宛てた3月10日付の書簡で次のように述べています。
  学問は知識を増すだけの道具ではない。性を矯めて真の大丈夫になるのが大主眼である。真の
  大丈夫とは自分のことだけを考えないで人のため世のために働くという大きな志のある人をいう。
しかし志ばかりあっても何が人のためになるか日本の現在ではどんな事が急務かそれぞれ熟考し
  て深思せねば容易にわからない。これが知識の必要なる点である。[. . . ] 慎み給へ励み給へ。
「大丈夫」とは、もともと「立派な男子」を指していたのですが、現代の「だいじょうぶ」は「安心できる、間違いない」ということを意味するようになりました。「性を矯める」とは、「性格を改め直す」という意味です。「大主眼」とは「主要な目的」という意味です。ですから、漱石の言葉を現代語訳で言い直せば、「学問は知識を増すだけの道具ではない。性格や習慣を改めて、立派な人間になるのが学問の主要な目的である」ということになるでしょうか。
 漱石は、これに続けて、「真の大丈夫とは自分のことだけを考えないで人のため世のために働くという大きな志のある人をいう」と述べています。さらに「しかし志ばかりあっても何が人のためになるか日本の現在ではどんな事が急務かそれぞれ熟考して深思せねば容易にわからない。これが知識の必要なる点である」とも述べています。「深思」(しんし)とは深く考えることを意味します。これは1902年、いまから115年ほど前の手紙に書かれた文章ですが、「日本の現在ではどんな事が急務かそれぞれ熟考して深思せねば容易にわからない」という文章は、まさに現代日本の状況を指しているようにも聞こえます。そして、漱石は「これが知識の必要なる点である。......慎み給へ励み給へ」と付け加えています。 これは、学問を志す人、特に学生や青年を意識した言葉です。また、21世紀冒頭においては、男女両方にあてはまる言葉でもあります。
 21世紀は価値観の大転換の時代になりました。そして、それに伴う世界規模の新しい知識の創造や爆発的な情報の拡散や大規模な人の移動があり、世界が一つになりつつあります。このような現象や文化状況を私たちはグローバリゼーションと呼んでいます。21世紀のグローバル社会の到来によって世界が一つになりつつあるということは、ここ沖縄本島北部でも否定しようのないリアリティとして実感され、日常的に体験できるようになりました。私たちは、いまや本部半島で、アジアやヨーロッパや北アメリカや南アメリカから訪れた多くの人々と出会い、対話をするようになっています。遠い世界での出来事や変化だと思っていたことが、いまでは私たちの生活の伝統的な枠組みを急激かつ根底的に揺るがすようになってきたのです。
 漱石の言っている「日本の現在の急務」とは、21世紀ではこのような世界的大変動に対応することであり、そのような能力を有する人材を育成することだと私は考えます。いつの時代においても、学問を修めた若者たちが世界の急激な変化に俊敏に対応しながら、地域の課題に果敢に挑戦し、社会を支えてきました。つまり、21世紀社会からの様々な要請に応えることができるのは、大学で学問を修め、いままさに社会に羽ばたこうとする皆さんなのです。
 しかしながら、社会の現実は複雑で、世界は急速に大きなスケールで変動していきます。学部で4年間、あるいは大学院で2年間、大いに学んだとしても、現実はあっという間に先に進んで行き、大学で学んだ学問も古びていきます。激動する世界の中で立ち止まることは許されず、私たちは社会に出ても生涯にわたって学び続けなければなりません。漱石が、「慎み給へ励み給へ」と言っているのは、学問には終わりがない、それゆえ身を慎んで、堅実に、着実に、変化し続ける世界に立ち向かえるよう励み給え、学び続け給えと言っているように私には思われます。
 これから皆さんは、社会で新しい人間関係を構築しながら、専門家として新しい知識を創造し、新しい社会のあり方を探求しつつ、それぞれの人生を築いていくことになるでしょう。漱石先生は、「慎みたまへ励み給へ」とは言いましたが、「楽しみ給へ」という言葉をつけ加えるのをお忘れになったようです。私は、僭越ながら、「楽しみ給へ」という言葉を追加したいと思います。旅立ちを迎えた卒業生のみなさんが、「慎み、励み」、そして「楽しみ」ながら、「真の大丈夫」となり、充実した人生を築くことを祈っています。名桜大学の建学の精神は「平和・自由・進歩」です。どうぞこのような精神を胸に秘めた「真の大丈夫」になって、「人のため世のために働くという大きな志」も忘れないでください。
 本日、名桜大学を卒業・修了していく皆さんのご活躍とご多幸を祈念し、学長式辞といたします。卒業、修了、まことにおめでとうございます。

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