沖縄の公立大学 名桜大学(沖縄県名護市)

研究コラム(つながる、つなげる教員の輪)研究

看護学と社会・歴史学の融合のはざまで

下地 紀靖/人間健康学部 看護学科/掲載日:2023年6月

 私は看護学科の成人看護領域で教育に携わっています。私の研究は、戦後フィリピンに渡った女性たちを対象にその軌跡に焦点をあてた研究を取り組んでいます。そのため、一見無関係の分野での研究で、「なぜあなたが......」と問いかけられることもあります。
 「ヒトの移動」に関する研究は、前学長の山里勝己先生が築いた「ヒトの研究に関する基盤整備事業」の中でフィリピンへの移民研究に参加したことがきっかけとなりました。フィリピンにはアジア・太平洋戦争以前には、5万人に近い沖縄からの出稼ぎ移民が存在し、沖縄から海外へ移民の歴史においても重要な場所でした。しかし沖縄戦と同様に、フィリピンではアメリカと日本との戦争で地上戦が繰り広げられ、沖縄移民も多大な被害と戦没者がいます。その多くは強制送還により沖縄へと移送され、戦前の移民歴史は途絶えてしまいました。戦後、沖縄で戦勝国となった米軍は沖縄に広大な米軍基地の建設を行うため、多くのフィリピン人軍人・軍属を雇用し駐留させていました。そのようなフィリピン人軍人・軍属と結婚し、戦後フィリピンへ移住した沖縄女性たちが2000人はいたといわれています。
 私は、そのようなフィリピンへ渡った沖縄女性たちの足跡を追い、沖縄やフィリピンでどのような生活をし、どのような苦難な人生を乗り越えてきたのかについて、保健衛生的視点について追求しています。フィリピンへ渡った女性たちは、沖縄とフィリピンでの生活を戦前・戦後を通して歩んできており、その軌跡は沖縄女性たちの戦後史として残していくことは極めて重要だと確信しています。看護と沖縄戦後史という観点で大きな違いはありますが、一人の沖縄女性たちの生活史を紐解き、ヒトの生活に焦点をあて、その背景、生活してきた過程を追うことは人間を多方面から見る看護学の特質と基本的には同じであり、歴史学と看護学の融合の中で、新しい学問の発展があるものと考えています。

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下地 紀靖(人間健康学部 看護学科 准教授)

【人物紹介】
 私は、看護師として勤めたのち、大学で社会科の教員免許を取るなど、モラトリアムの時代も過ごしました。人生は自分の進みたい道があればいつでもやり直しできる。名桜大学国際文化博士後期課程のチャレンジもそのような思いからでした。趣味は、卓球、野鳥観察、日曜大工です。一緒に興味があることにチャレンジしていきませんか。

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