わたしたちのこれから
名桜大学を卒業して1・2年目のOB、OGたちが語る「これから」。
名桜での4年間がどんな未来を創るのか、先輩たちのナマの声を聞いてみましょう。
沖縄県立宜野座高校卒業後、沖縄県内で野球の強い大学に進学しようと、名桜大学を選びました。
入学直後から4年間、野球一色のキャンパスライフでした。2010年から新日本石油株式会社(エネオス)に
入社。住まいはグラウンドに面した、野球部の寮。エネオスには野球部専用グラウンドがあり、ほぼ野球に
専念できるという恵まれた環境で、これまで以上に野球に打ち込んでいます。
今は野球をきっちりやって、土台を作ることが一番です。
大学は野球一色だった大城さん。3年次に進級する直前、現在の所属チームに声をかけられたのが、社会人野球へと進むキッカケとなりました。「もっと有名な大学はいっぱいあるのに上まで行けたのは、名桜野球部監督の姿勢も大きいと思います。『選手を見てください』『ぜひお願いします』と社会人チームに頭を下げてくれる。僕らの進路も親身になって考えてくれるんです」今は野球にどっぷりの日々。「ほとんど、野球が仕事なんで(笑)。もっと上に行きたい気持ちはあるけど、今は目の前の野球をきっちりやって、土台をつくることが一番です」さらに上をめざすなら、その道の険しさをよくわかっているのは自分自身。日焼けした笑顔は、好きな野球に打ち込める生活の充実ぶりを物語っていました。
大城 基志さん
新日本石油株式会社(2010年7月よりJX日鉱日石エネルギー株式会社)
潤滑油事業本部 潤滑油総括部 潤滑油需給グループ
国際学部/観光産業学科2010年卒
4年間のあゆみ
1年次
入学してすぐ、4月6日のリーグ戦2戦目でいきなり先発。しかし九州大会では惜しくも2位に。「1位だったら神宮に行けたのに。自分は全国大会まで行く気だったので、悔しかったです。この悔しさをバネに、その後もがんばりました」

2年次
1年次からエースの座をキープしたものの、秋の九州大会で4位に。九州地区では、日本文理大学、別府大学などの強豪がいて、上位に食い込むのもなかなか厳しいとか。「1年の時は、全国大会に行くことがスゴいことだと、わかってなかったんです(笑)」
3年次
3年次に進級する前の春休み、亜細亜大学との練習試合でエネオスの監督に声をかけられました。8月にエネオスの練習に参加。「最初はよくわからなかったけど、実際に練習に参加してみて、社会人野球に本格的に興味を持ち始めました」12月には正式なオファーが来たので、社会人野球の道を選ぶことに。
4年次
シーズンが始まり、名桜大学野球部は無敗で勝ち進んだものの、九州大会でまたしても2位に。「1年の時のリベンジだと思ってがんばりましたが、結局、神宮には行けなかったんです」個人としては8月にエネオスの練習に参加。12月に入社試験を受け、野球部の寮に入寮。年末年始と卒業式以外は沖縄県に戻らず、すっかりエネオスの一員に。
「現地実習では、ほぼ卒論に近い調査をやるんです」と清水さん。高知県と石垣島へ行き、特に高知県では現地の畳業の現状について聞き取り調査を実施。「沖縄県は意外と畳屋さんが多くて、目に見えて畳屋さんが働いているのわかるのはうれしいことです」畳の表面である畳表は安い中国産が多いとか。「畳屋の仕事は、畳表と床材をつなぐこと。私の地元では高齢化が進んで畳替えをする家が減ったと父は言います。現実は厳しいですよ」
「何をすべきか」という目標が、
卒論を書きながら見えてきました。
「ゆくゆくは、実家の畳屋を継ぎたいと考えています。それをハッキリ決めたキッカケは、3年次の時に専攻の日本・沖縄文化コースで伝統文化について学んだことです。父の仕事も伝統で受け継がれていることに改めて気付きました。卒論のタイトルは『畳業の課題と可能性を考える』。卒論をやりながら、見えてきたことがあります。父には、畳は今、こんなふうに見直されているという説明をして、これからのことや、どんな風に仕事をするか話をしようと思います。今まではコドモ扱いだったけど、自分がどれだけの情報を持って父を説得できるか、一緒にやっていこうって言えるか。そのために自分は4年間やってきたんだと思います。畳業の現状は厳しいので、難しい部分もあるかもしれませんが、がんばっていきたいですね」
※清水さんには卒業前の2010年2月に取材を行いました。
清水 くるみさん
国際学部/国際文化学科2010年卒
4年間のあゆみ
1年次
沖縄県に来たばかりの頃は、コンクリートの家が多い街並みが殺風景に見えたそう。「那覇空港に着いたら、思ったより都会でビックリ。沖縄って赤瓦のイメージが強いけど、実際にはそんな家は少ないんですね」
2年次

イベントを通して学生どうしのコミュニケーションが増えるようサポートする団体、SCSに所属。「いろんな人と出会って沖縄県の話を聞く中で、長野県ではどうなんだろうとか、文化の違いとかが見えてきました。『長野では、どんな?』って話になると、自分は地元のことを知らない。みんな海外ってよく言うけど、国内のことも全然知らない。沖縄県に来てから、友達を呼んで案内できるくらいの長野県民になりたいと、逆に思いました」
3年次
現地実習で、高知県と石垣島へ。特に高知県ではフィールドワークに力を入れました。

4年次
SCS団長になり、イベントの企画・運営で忙しく飛び回る日々。「就職活動も勉強になるから、経験してみたほうがいいよ」「一回働いてから家業を継いでもいいんじゃない?」と勧める人もいたものの、「今はとにかく帰って、父と仕事をするのが楽しみなんです」とのこと。
現在は(財)沖縄県保健医療福祉事業団で健康運動指導士として働いている上地さん。企業や役所、学校などで生活習慣病などのセミナーを行っている。普段はパンフレット作りや資料作成、健康情報誌の発行など、意外にも事務仕事が多く、「名桜大学で学んだことは、仕事の中でもベースになっている気がします」と語ります。
卒業後に取った資格での就職活動も、
きちんとサポートしてもらえ、夢が叶いました。
生活習慣病を予防するために、企業などで安全な運動プログラムを指導する健康運動指導士として働く上地さん。実は卒業直後に就いた仕事は、塾の講師でした。
「卒業式と資格試験の日が重なって受験できなかったので、受験のため名護市に残り、昼に勉強する時間がある塾の講師を選びました」
2009年9月の試験に合格し、就職については名桜大学のキャリア支援課や教員に何度も相談。
「卒業しているのに、親身になって相談に乗ってくれたのがうれしかったですね」
大学で求人情報を得て、2010年の春から念願かなって健康運動指導士に。
「今はまだスタート地点。しっかり学び、自分のレベルを上げて行きたいです」
上地 未起さん
(財)沖縄県保健医療福祉事業団
健康運動指導士
人間健康学部/スポーツ健康学科2009年卒
上地さんの2年間
3年次に編入する前
小学校の頃サッカーをやっていて、一度本土でサッカーをしてみたいという思いもあって、埼玉の短期大学に入学。「本土のサッカーのレベルは高かったけど、とても楽しむことができました」この頃は保健体育の教員になりたいと考え、中学二種の教員免許を取得。沖縄県に帰る予定だったことや、一種の教員免許を取得するという目的があったことから、短期大学を卒業後に名桜大学に編入学しました。
3年次

編入後のガイダンスで、健康運動指導士の資格が取れると知ったとか。教員から健康運動指導士へと目標が変わったキッカケは、講義。「履修した講義の中に健康運動指導士に関するものがあって、興味がわき、次第にこの仕事をやってみたいと思うようになり、健康運動指導士になろうと決意しました」
4年次

すでに短大で教員免許状二種を取得していたので、一種の教員免許を取るには追加単位だけでOK。4年次は健康運動指導士の資格を取るための授業を集中的に履修しました。「南風原町の健康増進施設で一週間ほど現場実習をしました。資格者が実際に働く姿を見ることができて勉強になりました。この経験は今の仕事にも大きく役立っています」
大城さんの職場、株式会社外為どっとコム名護支店は、金融や情報通信関連企業が集まる名護市東海岸の久辺地区の金融特区(金融業務特別地区)にあります。2010年4月に入社したばかりの大城さんは、現在業務知識を勉強するために研修中ですが、目標はシステム運用のリーダー。「今はまだスタート地点。まだまだがんばります。将来は、仕事をスムーズに動かすためにシステムの改善を提案したり、障害発生時に対応をするなど、縁の下の力持ち的な立場で会社をサポートする仕事をしてみたいと思っています」
いまは自分の目標を叶えたばかり
ようやくスタート地点に立ったところです。
株式会社外為どっとコムの重要な拠点として、国内で唯一の「金融業務特別地区」にある名護支店で働く大城さん。就職を意識し始めたのは3年次の頃から。「インターンシップで国際海洋環境情報センター(GODAC)に行ったんです。そこで与えられた仕事は、コンピュータで深海で撮影された映像を編集すること。それがきっかけになって、コンピュータを使った仕事をしようと決めました」
現在の会社に出会ったのは、キャリア支援課に勧められて参加した合同企業説明会。「大学では幅広い分野の授業を学べたことで、より広い視野で物を見られるようになりました。やりたいことや目的がなくても名桜大学なら見つけられるはずです」
大城 裕人さん
株式会社外為どっとコム
国際学部/経営情報学科2010年卒
4年間のあゆみ
1年次
入学したばかりで、まだまだ就職について考えていなかったと語る大城さん。「どちらかというと遊ぶことが中心だったかも。この頃夢中になっていたのは将棋。実際に指すだけではなく、インターネットを通じて見知らぬ人などと対局していました。通算で1万局以上指して5割4分くらいの勝率です」
2年次
2年次に進級してから、講義の内容が面白くなってきたとか。「履修できる科目が増えて、その中でもコンピュータ関連や、ITに関連した科目に興味を抱くようになってきたんです。幅広い分野を学べることで視野が広くなり、自分が目指すべき道を見つけることができるだけでなく、社会に出てからもとても役立っていると思います」
3年次

情報系のゼミに入り、IT関連のことを研究していましたが、課題が多くてなかなか遊べなかったと笑う大城さん。「この年のインターンシップで、深海映像や研究資料のデジタル化・整理保存などを行っている国際海洋環境情報センターで、映像の編集作業をしたことが、現在の仕事を目指すきっかけになりました」
4年次
3年次までにほとんどの単位を取得していたので、ゼミにだけ出席していました。「卒論の発表会など人前で話す機会が多かったことが、プレゼンテーションをするときなどに活かされていますね」就職活動は大学のキャリア支援課が主催する説明会に参加するだけではなく、自分で就職サイトに登録するなどして動くことも大切と、後輩達にアドバイスをくれました。
入社後すぐに添乗員として現場に出始めました。「すぐ出してもらえるというのは、試されているというプレッシャーもあります。その分やりがいがあるし、楽しみでもあるんですよ」県内バスツアー、県内離島、香港、北海道、九州、トルコ、ベトナムと予定は詰まっています。「現地に行ってみないとわからないこともあるので、どんどん添乗に行きたい。お客様に何か聞かれて、わからないことがあってもわかりませんとは言わず、調べますと答えてできる限り情報を集めます」ツアーの企画を社長に提案できるようになるのが目標。
添乗員として世界各地の現場を見たら、
いつかツアーを作る立場に回ってみたい。
「ツアーコンダクターになりたい」という中学時代からの夢を叶えた赤嶺さん。GPACに参加したり、学生生活は充実していたと語ります。「卒論はMICE※促進をテーマに書いたのですが、イベントを持ってきて人の流れを作るという意味ではGPACもMICEの一つだなと思いました。卒論の調査で実際のMICEも見てきたことは、今の仕事にもつながっていると思います」 今は添乗員として国内外を飛び回る日々。仕事を一つひとつ覚えている段階です。「どんどん添乗に行って、現地を見て、お客様の希望をできるだけ社内に伝えることが仕事です。でもいつかツアーを作る立場に回りたいと思っています」
※MICEとは…多くの集客交流が見込まれるビジネスイベントなどの総称。会議(Meeting)、報奨・研修旅行(インセンティブ旅行)(Incentive Travel)、国際会議(Convention)、イベント、展示会・見本市(Event/Exhibition)の頭文字をとってMICEと呼ばれる。
赤嶺 依里乃さん
株式会社ジャンボツアーズ
メディア事業部 海外セクション
国際学部/観光産業学科2010年卒
4年間のあゆみ
1年次

沖縄で開催されたGPACに、ホスト側として参加。アジア各地の大学生を中心に、200人もの人が集まるイベントとあって、その準備も大仕事!「これは私にとって大きい体験でした。学生生活がこんなに濃くていいのかな、と思うほど。団結できるメンバーと、今でも先輩・後輩のつきあいがあります」
2年次

GPACで台湾へ。さらに、所属しているエイサー・サークルがハワイ・オアフ島でのイベントに出演。「私の担当は手踊り。楽しい思い出になりました」
3年次

ハワイ島にあるハワイ大学ヒロ校へ、名桜大学と交流を持つための交渉に。「実現はしなかったけど、あちらへいけたことは感謝しています」また、現在の職場でのインターンシップを経験。10月からは本格的に就職活動を開始したそうです。
4年次
8月に内定が出て以降は卒業論文に本腰を入れる一方、会社側からの要請で旅程管理主任者資格、損害保険募集人資格を取得。「就職活動では、自分を良く見せようとしてはいけないと思います。私は自己PRの時に、いばれるようなことはないけど、この会社に入ったらこんな風にがんばりたいと、ありのままを話しました」
